散らない桜

3月下旬の土曜日、会社のお花見があった。私も当然参加するつもりだったが、急遽出張することになり、残念ながら欠席せざるを得なかった。
土曜日に出張から戻る予定だったので翌日の日曜日に妻とお花見に行こうと計画したのだが、出張先のホテルでみたテレビの天気予報は、日曜日の東京に傘マークをつけていた。

今年は例年より桜の開花や満開時期が1週間早く、この土日がまさに満開時期だった。テレビの中の傘マークが
「お花見はまた来年ね。」
と言っているようで、私の心は『曇りのち雨』だった。

土曜日。出張から戻った。
「明日、お花見行けないな。雨でだいぶ散ってしまうから、また来年行こう。」
普段は声が小さいほうではない私も、出張の疲れとお花見ができない寂しさもあって、ボソボソ呟いた。
日曜日が雨というのは当然妻も知っていたし、私がお花見や花火大会などのイベントが大好きだということも妻は十分知っている。家に着くなり私が元気のない声を出すことを妻は予想できていたはずだが、特に慰めや励ましの言葉はなかった。

私が着替えの入ったバッグを置いてテーブルにつくと、妻が別室から大きな紙を持ってリビングに現れた。
「夜桜で一杯やろう。」
そう 言いながら妻は持っていた紙を壁に貼り付けた。そこにマジックで描かれていたのは、一本の大きな桜の木。紙面いっぱいに満開に咲き誇るその桜は決して写実 的ではなかったが、私の口元を緩めるのに十分だった。1分もかからずに描かれたであろう花びらたちは、私の心の雨雲を一瞬で吹き飛ばした。
私の心は『雨のち晴れ』だった。

「桜の花ってハート型の花びらが集まってできているよね。可愛いね。」
そう言いながら、ビールを注いだグラスを両手に持って妻が隣に座った。
「お疲れ様。夜桜見物開始~。」

スマートだ。

率直にそう思った。この人はいつも私の期待を超えるやり方で私の心を満たしてくれる。
グラスは半分以上泡だらけ。完璧すぎないところがまた私の心をくすぐってくれる。
私は少しだけネクタイを緩めると、妻とグラスを合わせ、日付が変わるまで夜桜を楽しんだ。
壁の桜が
「今年もお花見できたね。」
と言っているようだった。

日曜日。窓の外は雨。
散らない桜は、昨夜と同じ状態を維持しながらリビングで満開に咲き誇っている。
キッチンでは妻が少し遅い朝食を用意していた。
起きてきた私に気付いた妻は
「おはよう。」
と言い、私は
「ありがとう。」
と答え、テーブルについた。


T.O.