地震当日の出来事

東北地方太平洋沖地震による被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。 

地震発生当日の自分の周りに起こった出来事を書いてみたいと思います。 

地震発生時はいつも通りASE東京支店で作業を行っていました。地震による大きな揺れにより、フロアのデスクトップPCが1台棚から落ち、壁にヒビが入りましたが、東京支店内で作業している人たちのケガはありませんでした。この時点ではここまで大きな災害になるとは思っていなかったです。 

その後すぐに社長から業務を終了し、帰れる人から帰るようにとの指示がありました。地震の影響で電車が止まっていると考え、すぐに交通機関の運転状況サイトを見たのですが、数十分前の情報から、なかなか更新されません。結局、Twitterのサイトで利用する交通機関についてのツィートを検索し、検索されたツィートの内容で、当分の間の復旧は無いと判断し、東京支店のある東銀座から、自宅のある阿佐ヶ谷まで、徒歩での帰宅を決断しました。 

  earth_1.jpg東京支店を出たのは16時30分頃。職場の同僚とまずは新宿を目指しました。会社を出た直後の銀座は我々と同様に家路を急ぐ人が多かったのですが、定時前だったせいか、まだ普通に歩く事が出来ました。歩いていると、救急車のサイレンがひっきりなしに鳴り、携帯電話がつながらないせいか、公衆電話に並ぶ人の列がかなり目立ちました。バスは運行していましたが、道路は渋滞しており、スムーズに動いていなかったようです。 

周りで歩いている人たちは、心の奥底では不安に思っていたかもしれませんが、それほどピリピリして感じもなく、いつも通りに歩いていました。

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東銀座から日比谷に向かい、皇居沿いを歩いて四ツ谷を経由して新宿に抜けました。一緒に行動した同僚がルートに詳しかったので、ほぼお任せしました。時間が経過するほど人も増えたので、裏道を通ったりしたのですが、ビルのレンガが落ちていたりしました。周りはまだ明るかったのですぐに分かったのですが、夜だったら見逃していたかもしれません。 

新宿到着は18時頃。新宿で同僚と別れ、地下鉄丸の内線の改札を確認したのですが、まだ開いていませんでした。 

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新宿駅付近は身動き出来ないぐらいの人だったので、路地を通って大久保に向かい、立ち食いそば屋で夕食を取りました。営業中止している店も結構多かったです。携帯はメールがほとんど使えなかったのですが、TwitterやFacebookが使えたので、これを使って知人の安否情報を確認したり、知人に対して無事である事を連絡しました。その後、大久保からは高円寺を経由して阿佐ヶ谷に向かったのですが、高円寺までのルートが良く分からなかったため、一生使う事は無いと思っていたiPhoneのGPSやマップの助けを借りました。こういう時には超便利! 

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会社を出てから約3時間半後、無事JR阿佐ヶ谷駅前に着きましたが、当然の事ながら閉鎖されていました。その後、ようやく空いている公衆電話を見つけて、青森市の実家に電話をしたのですが、連絡が取れません。ですが、停電が続いている事は知っていた事もあり、自分自身は意外と冷静で、あせってもしょうがないから、普段通りの生活をしようと思い、たまに行く阿佐ヶ谷の小さな居酒屋でアルコールを入れ、駅前の映画館で東映ヤクザ映画のレイトを観て、それから帰りました。

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自宅の被害は本やらCDやらDVDが散らばる程度でした。電気、ガス、水道も問題ありませんでしたが、同じアパートの別の部屋では電気温水器のパイプがずれ、水漏れを起こしていたようです。 

実家とは次の日に連絡が取れました。実家のある地域の停電は次の日の昼過ぎに直ったとの事でした。 

今回、あまり過度の反応せずに意外と冷静に対応できたのは、情報を入手できた事が大きかったと思います。また、携帯電話や携帯メールがあまり使えなかったのですが、TwitterやFacebookなどで、色々な情報を送受信出来た事は大きかったです。色々な連絡網とアクセスできる入口を用意しておかないと、いざと言うときに外部との通信が出来なくなる事を痛感しました。