旧東海道の旅・その2をお送りします。
(その1はこちら)
「品川(1)」のような表記の中で、
カッコ内の数字は日本橋側(江戸)から数えたときに何番目の宿場かを表しています。
週末を利用して少しずつ歩き継いできた旧東海道の旅も、
ようやく愛知県名古屋市までたどり着きました。
旧東海道は宮宿(41:愛知県名古屋市熱田区)から海路となり、
「七里の渡し」を経て桑名(42)に到ります。
もちろん今では渡し船はなく船で移動することはできないため、
桑名宿から旅を再開することにしました。
桑名を出発してからしばらくは伊勢街道を歩きます。
そして四日市(43)市にある日永の追分で伊勢街道に別れを告げ、
その日のうちに庄野宿(45:三重県鈴鹿市)に到着しました。
■日永の追分(2011/6/4)
庄野宿からはローソクや液晶テレビで有名な亀山(46)を経て
関宿(47)に到ります。
■亀山(2011/6/5)
関宿では往時の街並みが再現されていて、
宿場らしい雰囲気を味わうことができます。
「関の山」の語源になったところでもあります。
■関宿の街並み(2011/7/16)
関宿を出て坂下宿(48)を過ぎるといよいよ東海道最後の難所である鈴鹿峠越えです。
鈴鹿峠を越えたのは7月16日、亀山の最高気温は33.0℃でした。
何も暑い日を選んで越えなくてもよさそうなものですが、
なりゆきでそうなってしまいました。
■鈴鹿峠にて(2011/7/16)
鈴鹿峠を越えるといよいよ近江の国に入ります。
遠江の国(静岡県西部)からとうとう近江の国まで歩き継いで来たんだと、
感慨深いものがあります。
近江の国に入ると急にたぬきの密度が高くなります。
■信楽焼のたぬき(2011/7/17)
そして草津宿(52)に入ると、中山道との追分があります。
ここから京都まで、東海道と中山道とは同じ道となります。
■草津宿の追分(2011/8/6)
草津には矢橋道との追分があります。
「急がば回れ」ということばの語源となった場所で、
「矢橋の渡し」を経由すれば距離は近いが、
多少遠回りでも陸路を通って瀬田の唐橋を通る方が賢明である、ということを表しています。
■「急がば回れ」(2011/8/7)
いよいよ琵琶湖が近づいてきました。
ここまで来れば京都まであと少し。
ちなみに京都まで歩いた日の京都の最高気温は35.2℃でした。
日本橋から歩き継いできた日々を思い出しながら、などという余裕さえもない暑さの中、
最後の宿場である大津(53)を過ぎました。
大津にある「札の辻」からは北国街道が分岐していて北陸方面へと道がつながっています。
逢坂を経て京都に入り、猛暑の中をゴールの三条大橋に
到着して長かった旧東海道の旅は終わりを告げました。
■三条大橋(2011/8/7)
by. E.K