僕のパトカー

小学校1年生のとき、両親の事情により、僕は母と共に九州にある母の実家に身を寄せ、父と離れて暮らすことになった。しばらくして、話し合いのためか父が九州に来た。母の実家に1泊した父は、九州から岡山に戻る間際に僕にリモコンで動くパトカーのおもちゃを買ってくれた。

前進・後退・右折・左折ができ、単3電池のパワーが十分あるときは後退時にレバーを前進に切り替えるとウィリーするというもので、赤く光るパトランプは幼い僕を十分楽しませてくれた。

父が岡山に帰ってから、九州にいる僕は単3電池を何十個も消費するほどにパトカーで遊んだ。パトカーを操作している時間、僕の中では父に遊んでもらっている時間に置き換えていた。

その後、両親の事情により再び岡山で両親と僕は同じ屋根の下で暮らすことになった。

僕が中学生になるころ、狭いアパートから少しだけ広い家に引っ越した。引越しの際にもう使わないおもちゃなどは捨ててきたが、このパトカーだけは新しい家に持っていった。

僕が大学生になって神戸で一人暮らしを始めた後、父の転勤により、父と母は広島に引っ越したのだが、パトカーも一緒に広島へ行った。

僕が就職して東京に住み始めた後、父の転勤により、父と母は再び岡山に戻ってきた。もちろんパトカーも一緒。

今年、父と母は別々の人生を歩むことになった。母は実家のある九州に戻り、一人暮らしのアパートを借りた。パトカーもまた九州に戻った。

私が母のもとを訪ねたとき、押入れの整理をしているとパトカーが出てきた。両親が広島にいるときに一度触ってから、約十年ぶりのご対面。私はパトカーを東京に持ち帰った。

東京に帰ってきた私は妻にこのパトカーとの思い出などを語り、新しい単3電池を入れてレバーを前進に入れてみた。しかし動かない。前進・後退・右折・左折、いずれも反応しない。赤く輝くはずのパトランプも仄暗く鈍い色を発しているだけ。

「動かない・・・」

一言つぶやくと、涙が出てきた。次の言葉を出すことができなかった。 
私の「変化」に気付いた妻がパトカーを持って言った。

「ほら、動くよ。もう一回動かしてごらん。」

私は、もう一度レバーを前進に入れてみた。 
「ブゥーン、ブゥーン。」パトカーが走る音を口にして、妻がパトカーを手に持って前方に動かす。僕のパトカーがまた走った!!

「右に曲がろう。」妻が言う。私はレバーを右折に入れる。「キキキー。」 
ブレーキの音と共にパトカーは右側の車輪を浮かせながら右折し、また前進し始めた。

「ほら、まだ動くよ。大丈夫よ。」

妻の言葉が終わらないうちに、僕のパトカーは溢れ出る涙の向こうに消えていった。


T.O.