いわきで普通に働く

私は福島県いわき市に常駐し、某オーディオ関連メーカで作業しております。
3月11日(Fri)の14時46分、「東日本大震災」に見舞われました。
幸い、いわきのaseメンバとその家族とも怪我は無く、現在は東京に退避しています。

作業場所にある携帯電話すべてから鳴り響く地震速報の警告音と
「ゴゴゴ・・」という地鳴りと共に発生した大きく、そして長い地震・・・。
一生忘れません。

地震直後、業務は即終了し全員家路につきます。
自動車で通勤する方が9割以上を占めており、
当然地震直後は帰宅する車両で大渋滞となります。

私は迂回する道を選び、途中コンビニによりました。
地震発生から1時間半ほど経過しているので、ある程度片付いてはいるものの、
床に落下したであろう商品は、とりあえず買い物かごに入れられています。

アルバイトらしい学生風の店員さんも、地震発生後の動揺があるらしく、
少しあわてた様子ですが頑張って働いています。

なんとなく今まで経験した地震とは規模が違うことは、うすうす感じ始めていました。

しかし、この時点では車のラジオ以外の情報は何も無く、「東日本大震災」と
呼ばれるほど大きなものになるとは考えておらず、ただなんとなく現実逃避するように
「週明けには普通に・・」と無理やり楽観的になっていたように思います。

そんな状況の中、我々が業務途中で帰宅している状態で、
いつもどおり働いている人を見て、頬を叩かれたような気持ちにりました。

買い物を済ませてお釣りを受け取る際、「ネエちゃんも頑張ってな。」と
一声かけると、少し驚いたような表情をしましたが、
直ぐに「ありがとうございます!」と元気に返してきました。

帰宅後テレビを点けると自身の認識の甘さと、
今回の地震の規模を同時に知ることになります。

それ以降、いわき市もライフライン(水道)や物流不足により日々状況が悪くなり
市内のガソリンスタンドや商店だけでなく、コンビニも次々閉店していき、
そこへ原発の懸念も発生し、先の見通しが見えなくなりました。

そんな状況もあり、会社に相談し東京への退避を決め、翌日東京へ移動しました。
総務部には、移動後の滞在先の手配や、必要物の準備等を行っていただきました。
この場を借りて改めて御礼を申し上げます。ありがとうございます。

3月31日にいわきに戻ります。

まだもう少し「普通」に戻るには時間がかかると思いますが、
地震発生直後のあの状況で、「普通」に働いていた店員さんを見習って、
まず自分の意識を普通に戻し、仕事と生活を仕切りなおそうと思います。

——

ちなみに、私の家族(嫁さん)はいわき市の海の近くで働いており、
職場は津波の被害にあいましたが、幸いにも怪我無く難を逃れたそうです。
ですが、車は津波に流され、画像のような状態になってしまいました・・・(涙)

 

津波直後・・・・

_SH3E0053000200010001

 

次の日・・・(車検証をとりに行った・・)

_110312_151901-thumb-523x313-170