北の『鉄』浪漫(1)~街中の廃線跡・前篇~

ハイ、ここからはASE『鉄』担当"北の鉄マロン"が北海道の鉄道の魅力を語るコーナーです。初回は「廃線跡」について、思い入れたっぷりに前篇・中篇・後篇に渡ってご紹介します。

趣味としての鉄道の世界も分野が色々と分かれておりまして、乗って楽しんだり(通称「乗り鉄」)写真を撮って楽しんだり(「撮り鉄」)列車の走行音を録音して楽しんだり(「録り鉄」)エトセトラエトセトラ(死語)と色々とございますが、世間的には比較的新しく認知されてきたものに「廃線跡探訪」ちゅうものがございます。

いっときは列車が走ったが廃線になった、あるいは建設途中で完成を断念した(「未成線」と称します)線路跡を辿ってあれこれナニするという、『鉄』の世界でもどちらかと言えば抽象度の高い分野でございますが、故宮脇俊三さんが編集された『鉄道廃線跡を歩く』が1995年に出版されたことを切っ掛けに、『鉄』の有力勢力に一気に成長致しました。

『鉄』に馴染みのない方でも、北海道遺産にもなっている糠平湖のタウシュベツ橋梁をポスターなどで見かけたことございません?

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あるいは、新得の方にある根室本線旧線(通称「旧狩勝線のS字カーブ」)とか

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夕張はシューパロ湖に掛かる三弦橋(ここが湖底を見せるのはレアケース)や

 

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その上流にある旭沢橋梁など・・・

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「廃線跡」って言葉を聞くと探訪するのに少々手間暇かかるという印象がございませんでしょうか。

今回はそんなあなたに送る、あなたのご近所にある(かもしれない)街中の廃線跡をご紹介します。

先ずは北海道の鉄道発祥の地、小樽へ。こちらからは1985年11月に廃止になった旧手宮線を。 
手宮線は南小樽から手宮の間の2.8キロを結んでいましたが、こちら、御存知の方は御存知のとおり(当たり前ですがな)、1880年に幌内鉄道として北海道で最初に敷設された由緒正しき鉄道で、開通当初は札幌まで通じておりました。(注:トロッコ的な鉄軌道はこれ以前にもありましたが、所謂「鉄道」としてはこちらが北海道で最初のもの、日本全国でも三番目のものになります。)

そんなこって勇躍南小樽駅へ。ホームと駅舎を結ぶ跨線橋から小樽方面を臨みますと、普通に列車の通る本線の線路の脇に、突然現れ突然消えるレールに見覚えのある方もいらっしゃいましょう。

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これが旧手宮線になります。レールが途切れているほか、レールの真ん中に踏切設備が突っ立っているところが少々もの悲しいところです。
この本線と手宮線、ちょいの間、並走しますが、直に手宮線は右に分かれていきます。花園の跨線橋から小樽方面を撮った画像です。

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 左に向かっていくのが本線です。列車に乗っていても右手の方に分かれていく細長い何かが見てとれますが、それが旧手宮線です。 
この辺りは草ボウボウですが、寿司屋通りからは先、駅前通までの区間は遊歩道的な公園として整備されており、花壇やベンチも適宜置かれ、ちょっとした散歩には最適です。

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通りのご近所の建物にはいろいろな意味で歴史を感じる建物も多く、いにしえの走行シーンを思い出すのも難しくありません。またこの付近は、小樽の冬の一大イベント、小樽『雪あかりの路』のメイン会場の一つになっており、万単位の人で賑わいます。もしかしたら日本一賑やかな廃線跡なのかも知れません。

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 余談:手宮線は幌内鉄道の一区間として開通しました。『雪あかりの路』は冬のイベントですが、幌内鉄道の到着地である三笠市でも毎年夏に『幌内線路の灯り展』として廃線跡でイベントを開いております。(下の画でご紹介)

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 どちらも廃線跡にロウソクの組み合わせ。『幌内線路の灯り展』は『雪あかりの路』に比べるといささかささやかですが、情緒の点では負けず劣らず、より儚げなイベントになっていますので一度おいでくださいませ。(宣伝になっていないか…)

 

ちょいと長くなりました。一旦ブレイク。「中篇」に続きます。

 

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