東京支店がある銀座1丁目から日本橋までは20分ほどで歩いて行くことが
できます。日本橋といえば江戸時代には五街道の起点で、現在でも日本の
道路元標が置かれているところ。だから、というわけではありませんが、私は
2年ほど前から週末を利用して旧東海道を歩く旅を続けており、先日ようやく
ゴール(京都三条大橋)に到達しました。
以下、旧東海道の旅前半(日本橋~宮=名古屋)の模様をダイジェストで
お送りします。
旧東海道というのは日本橋を起点として京都三条大橋までの約490キロの
道で、歌川広重の東海道五十三次で有名なように途中に53の宿場があります。
現在では建物や鉄道・道路などで分断されてはいるものの、ところどころに
江戸時代のままの道が残されており、往時を偲ぶことができます。そこで、
日本橋を出発してできる限り江戸時代のルートに近い道を通って京三条に
到達することを目的としました。
以降、品川(1)や大津(53)のようなカッコ内の数字は日本橋側から数えて
何番目の宿場かを表します。
自宅のある横浜周辺を歩いている頃には「そのうち京都まで行ければいいな」
くらいにしか考えておらず、それほどモチベーションは高くありませんでした。
品川(1)から保土ヶ谷(4)までは通勤経路であることもあって特別なことをしている
という意識はなく、「京都を目指す」という気持ちが強くなってきたのは小田原(9)を
過ぎて箱根(10)を越えた辺りからです。
薩埵(さった)峠は由比宿(16)と興津宿(17)との間にあり、峠から見た景色は
日本の大動脈である東海道を象徴する景観としてよくとり上げられます。
写真には写っていませんが実際には前方に富士山があります。箱根を越え、
富士川を渡ってここまでたどり着いたところでこのような景色に迎えられると、
いよいよさらに先を目指そうという気持ちが高まってきます。
■薩埵(さった)峠(2009/9/6)
府中宿(19)(現在の静岡市中心部)を過ぎ、とろろ汁で有名な丸子(20)の宿場を
過ぎると宇津ノ谷の集落があります。このような日本の原風景とでも言える山間の
集落に出合うことも歩く旅の楽しさのひとつです。
■宇津ノ谷(2009/12/29)
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」で有名な大井川にたどり着き
ました。歩いて橋を渡ると15分ほどかかり、川の大きさが実感できます。大井川を
越えると駿河国から遠江国に移り、金谷宿(24)に到着します。
■大井川(2010/1/30)
金谷(24)から石畳の坂を上って菊川へ向かいます。菊川は間宿(あいのしゅく)と
呼ばれ、宿場と宿場との間にある小規模な休憩施設として利用されていました。
菊川から、難所として知られる小夜の中山を通って日坂宿(25)に向かいます。
■石畳(2010/1/30)
遠江国から三河国に入りました。三河国は手筒花火が有名で、白須賀(32)から
二川(33)に到る途中では消火栓のふたもこんな感じです。手筒花火を持つ人の
真剣な表情が三河人の誇りを感じさせます。
■消火栓のふた(2010/4/3)
さらに進んで二川宿に入ると、川沿いの桜が出迎えてくれました。
■川沿いの桜(2010/4/3)
学生時代を過ごした懐かしい豊橋(吉田宿(34))を過ぎ、岡崎(38)を目指します。
35℃を超える暑さの中を歩くのはさすがに厳しいものがありますが、街道沿いに
ある何気ない景色が涼しい気分にさせてくれます。
■川(2010/8/22)
そして30℃を超える暑さの中、ようやく宮宿(41)に到着しました。ここからは渡し船で
移動するのが公式ルートですが今では渡し船は営業していないため、
次は桑名宿(42)から旅を再開することにします。
■七里の渡し(2010/9/19)
この続きは、また後日紹介いたします。ご期待ください。
by. E.K